大阪高等裁判所 昭和40年(ネ)809号 判決 1966年10月27日
理由
被控訴人が原判決添付目録表示の手形要件の記載された約束手形三通(本件手形)を皆川七郎から裏書譲渡を受け、現にこれを所持していることは当事者間に争いがない。
ところで、本件手形の振出名義人は小松里織布株式会社代表取締役大家午吉となつているのであるが、右会社はすでに昭和三七年一二月三一日大家織物株式会社と商号を変更し、かつ、同日その代表取締役も右大家午吉(控訴人)から大家修に更迭したことは、当事者間に争いがない。
被控訴人は、本件手形が振り出されたのは右商号並びに代表取締役変更後の昭和三九年四月一〇日頃であり、従つて、控訴人は実在しない会社の代表者名義を使用してこれを振り出したものであるから、手形法第八条の準用により、控訴人が個人としてその支払義務を負うべきものである、と主張するに対し、控訴人は、本件手形は、昭和三七年一〇月末頃控訴人が代表取締役であつた当時の小松里織布株式会社が振り出したものであり、ただ振出日の記載が後に昭和三九年四月一〇日と白地補充されたため、手形記載の振出日当時には、商号も代表取締役も変更されていたこととなつたものにすぎず、決して控訴人が実在しない会社の代表者名義を使用してこれを振り出したものではない、と争うので判断する。《証拠》を総合すれば、次の事実が認められる。すなわち、皆川七郎は南海マグネ金属工業所の商号で鋳物業等を営んでいたが、昭和三七年頃営業資金に窮し、親戚縁者から資金の融通を仰ぐと共に、かねて知り合いの大家修に対しても融通手形の振出貸与方を懇請した。一方、大家修は当時小松里織布株式会社の代表取締役であつた控訴人の長男であるが、控訴人は右会社経営をすべて大家修に委せ、大家修が事実上の代表者としてその運営全般にあたつており、従つて、大家修は右会社の代表取締役たる控訴人の名義を使用して手形を振り出す等の権限を与えられていた。そこで大家修は右権限に基き、皆川の前記要請に応じ、昭和三七年一〇月頃、皆川の責任において決済する約束のもとに、小松里織布株式会社代表取締役大家午吉の振出名義を使用して、金額五〇万円、その他の手形要件はすべて白地の約束手形五通(本件手形はそのうちの三通である。)を振り出して、融通のためこれを皆川に交付した。皆川は、そのうちの二通をその頃金融を受けるために使用し、残りの本件手形三通はそのまま所持していたのであるが、その後昭和三九年四月になつてこれを使用しようと考え、本件手形三通の支払期日、支払場所、振出地欄に、それぞれ原判決添付目録表示のとおり、いずれもゴム印を押捺してその白地を補充し、振出日、受取人欄はなお白地のまま、同月九日頃割引を受けるためこれを被控訴人に交付した。そして被控訴人は、その頃本件手形三通の振出日欄にいずれも同月一〇日と白地補充するとともに、大家修にその受取人欄にいずれも皆川七郎と記載してもらつて白地を補充し、本件手形を完成させた。かような事実が認められる。
この点に関し被控訴人は、右認定に反し、本件手形は皆川がその割引を被控訴人に依頼した昭和三九年四月頃に振り出されたものであると主張し、その理由として、皆川は資金難のため、他人振出名義の手形を偽造してまでその割引を受けなければならないほどの困窮状態にあつたのであるから、昭和三七年一〇月頃正常に貸し与えられた手形を昭和三九年四月まで使用しないで放置しておくはずはない、と主張し、また、満期を記載しないで手形を他人に貸し与えるとか、あるいは、昭和三七年に振り出された融通手形の満期を、その受取人において昭和三九年六月一五日ないし同年八月一五日と補充して手形割引を受けるというようなことは、経験則上考えられない、と主張する。《証拠》によれば、皆川は前記営業の資金繰りに窮した結果、清水静一振出名義の金額五〇万円の約束手形数通を偽造してその割引を受けていたことが認められるのであるが、皆川がそのような偽造に及んだ時期はほぼ昭和三八年一二月頃から昭和三九年四月頃までの間であることもまたうかがわれるのであつて、皆川が本件手形を借り受けた昭和三七年一〇月当時、皆川において手形偽造の手段に訴えてまで金融を受けなければならない程度に困窮していたものとは必ずしも認められないから、右手形偽造の事実があるからといつて、皆川が昭和三七年一〇月から昭和三九年四月まで本件手形を使用しなかつたことをもつて、全くあり得べからざることとばかりはいいきれない。また、約束手形を振り出す以上満期における資金の手当をしておく必要があることはいうまでもないが、本件手形のように、被融通者の責任においてその決済をすることの約束のもとに融通手形が振り出された場合には、常に必ず振出人において資金手当を施すとは限らないのであるから、満期白地の融通手形を貸し与えるということも、世上あり得ることであつて、必ずしも経験則に反するとは思われない。さらに、融通手形の振出交付を受けた被融通者が、その融通手形を直ちに割引等のために使用しないで、本件の場合のように、一年数ケ月間放置した後に、白地を補充してこれを使用することも、充分あり得ることであつて、それが経験則に反する事柄であるとは直ちにいい得ない。そして前記甲第一、二号証の各一、同第三号証(いずれも本件手形)によれば、本件手形はそれに押捺されたゴム印のスタンプインキの色からみて、その支払期日、支所地、支払場所、振出地のゴム印はほぼ同時に押捺されたものであろうと推認し得るけれども、これらと振出人の記名印ないし金額欄の記載が同時に押印顕出されたものであるかどうかは確認し得ないから、右スタンプインキの色によつては、振出当時すでに満期の記載がなされていたものとは必ずしも断定することはできないし、また、原審における証人大家修の証言によれば、小松里織布株式会社が前記のとおり商号並びに代表取締役を変更した後においても、なお旧商号、旧代表取締役の記名印(本件手形に押捺されているもの)が大家修によつて保管されており、従つて、昭和三九年四月頃においてもこれを押捺使用しようと思えばできる状態にあつたことが認められるけれども、もとよりかかる事実だけでは、本件手形が昭和三七年一〇月頃に振り出されたとの認定をくつがえすにたらない。なお、原審における被控訴人本人尋問の結果中には以上の認定に反する趣旨の部分があるが、右は単なる意見を述べたものにすぎず、採用できない。そしてほかに、前認定をくつがえし、被控訴人の主張に証拠はない。
そうすると、本件手形は昭和三七年一〇月頃に振り出されたものであることが明らかである。そして白地手形はその欠けた要件が補充されて初めて手形として完成するものであるから、白地手形の振出人が手形上の責任を負うのは、白地が補充されたときからであつて、白地手形の振出行為のときにまでさかのぼるものではないけれども、だからといつて、白地が補充されたときに手形が振り出されたことになるわけのものではなく、手形行為自体は白地手形に署名がなされたときその意思表示が完成していると解すべきであるから、振出名義人の実在の有無、代表者の代表権の有無等は、白地補充のときを標準として考えるべきではなく、現実に振出行為のなされたときを標準としてこれを決すべきものである。本件手形が振り出された昭和三七年一〇月当時、振出名義人小松里織布株式会社は実在し、控訴人はその代表取締役であつたのであり、かつ、現実に振出行為をなした大家修は本件手形振出の権限を有したのであるから、本件手形は同会社が適法に振り出したものというべきであり、従つて、その後に至つて右会社が商号を変更し、また控訴人が代表権を失つたからといつて、その振出の効力には何らの影響はなく、商号変更後の大家織物株式会社において振出人としての責に任ずべきものであつて、控訴人が個人としてその責に任ずべきいわれはない。
そうすると、本件手形が昭和三九年四月頃に振り出されたことを前提とし、手形法第八条の準用により控訴人に対しその支払を求める被控訴人の本訴請求は、理由がないことに帰するからこれを棄却すべきものであり、右請求を一部認容した原判決は不当として取消を免れない。